Jun
19th
Thu
19th
『バガボンド』を筆で描きはじめた頃の話。
練習期間はなし。いきなり本番で試した。主線はすべて面相筆でペン入れならぬ「筆入れ」をする。初回はまったくイメージ通りに描けず、ファンからは作画のレベルが下がったと評された。しかし井上自身は筆でうまく線を引けるようになれば、狙った効果が出せるという確信を得たという。ハードはソフトを規定する。例えばポータブルプレイヤーの出現が音楽の聴き方を変え、やがて楽曲の形式にさえ影響を及ぼしたように、道具の変化は井上の作品に本質的な変化を引き起こす引き金となった。
「やっぱりペンは”コントロール下のもの”なんです。ここしかないという、絶対的に正しい位置に線を引くためのもの。でも筆はもっとルーズで許されるというか、いろいろな意味で幅を許容してくれる。そうするとストーリーもユルいものになるような気がします。もともと僕は”ストーリーなんかなくたっていいじゃないか”というところがありますし(笑)、物語展開の妙みたいなものよりも、”今”を切り取るような物語、プロセスの連続でもいいんじゃないかという意識がより強くなってきています」
筆に持ち替えた当初は、描き込みもさほど稠密(ちゅうみつ)ではなかった。というより、まだ稠密には描けなかった、というべきだろう。そのため不慣れな道具を使いながらも、ペンによる作画より短時間で仕上げることができた。ところが筆という道具が自分のものになってくると、今度はペン以上に描き込みが増え、作業量は増加の一途を辿る。『SLAM DUNK』連載時には決して破ったことのない締め切りを一度ならずも破り、休載やむなし、という憂き目にも遭った。
— 活字中毒R。